皆さん「幸せ」感じてますか?
「幸せ」はなるものではなく感じるもの。しかし、その「幸せ」を感じるのに他者を犠牲にするとしたら?そのような場合、自身の「幸せ」に対して犠牲になっている他者が抵抗してくるなどするため、長い間「幸せ」を感じることができなくなるのです。
個人の利益のみを追求した場合、全体としての利益は最大にはならない。個人の利益と全体の利益を考えて個人が行動したときに全体としての利益が最大になる。決して、全体のために個人を犠牲にしなくてはならないと言っているわけではない。全体の利益を無視した行動は、結果として個人の利益を損なう結果になってしまうということだ。
多くの国が国際社会の中で自国のことのみならず世界全体の問題に取り組んでいることは、ただの偽善やボランティア精神などではなく、自国のことのみを考えて行動するよりも、長期的に見れば自国の利益になるということなのだ。自国は全体の一部であるから、全体の利益を考慮しない行動は自国の利益を考慮していない行動と同じなのである。
ロシアのウクライナに対して行った軍事行動は、自国の利益を重視するあまりに、世界全体の平和に対する利益を大きく損なう結果になっている。平和を犠牲にされた世界の国々はロシアの行動に対して抵抗するだろう。したがって、ロシアにとっての正義である軍事行動による「幸せ」の享受は短期間になるものと考えざるを得ない。我々は自国民であるとともに、同じ星に暮らす仲間であることを再認識できたらと思う。一人一人が、もっと自身と全体を思って行動するようになればどれだけ世界は「幸せ」に満ち溢れることになるのだろうか?
他国の一部地域の独立を承認したのちに、その地域の防衛を目的として全土に攻撃をするという行動は、実に巧妙な手法である。ウクライナ東部の人々がウクライナ政府から弾圧されていたとするロシアの主張が真実だとすると、日本やアメリカが、仮に台湾に中国が軍事行動を起こした場合にとる可能性のある集団的自衛権の行使と同じようなものである。台湾とウクライナ東部の差異は、国家成立の時間的な長さぐらいなもので、本質的な違いはないといってよい。今回のロシアに対する軍事侵攻を世界平和が害されたと世界が非難するのであれば、台湾有事の際にも世界はアメリカや日本を非難するのであろうか?
多くの人々の判断の基礎となる事実は直接見たり聞いたりするものであることは少なく、ジャーナリズムによる間接的なものである。だから、事実の全体像を認識するのは極めて困難であり、伝える側の意図によって事実が隠蔽されることもある。しかも事実の評価は立場によって変わる。とすれば、どう行動することが、個人と全体のバランスをとったものであるのかは容易には判断できない。冷戦が終わったとされるドイツ統一から約30年の月日がたつ。しかし今でもなお、国家間の対立の根底には、当時の資本主義と社会主義共産主義との戦いの残り火がくすぶっているようだ。
もしかしたら、ロシアの軍事侵攻によるウクライナの東部の地域の「幸せ」がメディアで取り上げられないだけなのかもしれない。他国の政治による犠牲者を自国がどう評価するかは程度問題であり、一刀両断線引きできるものでもないのだ。北朝鮮での人権侵害を非難する立場と、ウクライナ東部の弾圧を非難する立場の違いは程度の違いではないのだろうか。だからといって、大国ロシアが国際連合などの決議をとらずに単独で軍事侵攻したことを肯定しているわけではない。人間は、自身の認識している事実のみが事実であると誤解してしまいがちであるが、知らない事実、知ることのできない事実があるかもしれないと考えることも重要なのではないか。などと考えるときりがないので、これぐらいでやめにしよう。
私はできる限り、日々の生活の苦しさや短絡的な利益に惑わされることなく、全体を見据えつつ自分自身も大切にしながら「幸せ」を長く感じていきたい。皆さんの「幸せ」は長く感じることができそうですか?もし、全体のことを考えていないようだったら、もう一度自分の行動を振り返ってみてもいいかもしれません。多くの人が少しでも長く「幸せ」を感じることができたらと思います。
それでは皆さん、今日も「幸せ」感じていきましょう!
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